母は偉大だと、自分が親になってよくわかるお話。
今週のお題「母の日」
余計なお世話なお話。
おはようございます。笠森です。
母の日、終わってしまいましたね。一部ネット上では、上原多香子さんの母の日のつぶやきに対して批判の嵐が巻き起こっているようです。
私個人の意見としては、夫婦間で何があったのか、夫婦にしかわかりません。せっかく産まれてきたお子さんに免じて、そっとしておくのが一番かなと、上から目線で思ったり。
今後も批判してくる人はいるでしょう。もし倫理的に罪を犯したのなら、不思議と何らかの形で償っていくことになるでしょうから・・・。
産まれてきたお子様には罪はありません。どうか幸せでありますように。
母の思い出話。
と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんで私が夫婦のことは夫婦にしかわからない。という感覚になったかと言うと、まさにうちの両親が「仲が良いのか悪いのかわからない」夫婦だからです。
小さい頃は子供二人抱えて手取り14万円しかない時期もあり、とても貧しかったことを憶えています。そのため家には不穏な空気が漂うことも・・・。
何故かって、父はとても自由な人だったからです。
職を変える事も多く、母の言う事を聞かないので、私が同じ立場だったら離婚したくなるだろうと思っていました。
でも離婚していないんですよね。全く考え方の違う夫婦なので言い争いは日常茶飯事、でも大事な時の意見は一致するという・・・。不思議ですが、周りの人間にはうかがい知れない、特殊な絆があるのかもしれません。
でも当時姉も母の言うことを聞かなかったので、姉と母もよく喧嘩していたのをよく覚えています。今にして思えば姉は昔から意思のはっきりした人やったんだなあ。そのせいか私は若干放置気味で育てられていました。
今でこそ笑い話ですが、住んでいたアパートは6帖2間で風呂は共同の2万円、階段の地面と設置する部分の鉄がすっかり錆びていて、歩くたびに階段が揺れる始末。
母はアパート前の畑をただで借りて家庭菜園をして貧しさをしのいでいました。
そんな感じだったので誕生日プレゼント?クリスマスのプレゼント?何それ美味しいの?状態でした。
うすうすうちが貧乏であることには気づいていましたが、私たち姉妹には一切愚痴ることなく、食べ物も全部出汁を一からとって、手作りして節約して乗り切っていました。
なのでおかずが少なかったとか、食べ物での苦労は感じたことがありません。
子供だったからお金が無くても外にでて蝶を追っかけまわすだけでも楽しかったですし。
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自分が親になってみて思うこと。親への感謝
大人になって子供を育てる様になった今は特に、母の苦労を考えると「すごい」の一言しかありません。
こんな私をここまで育ててくれてありがとう。
お母さんの娘でよかったです。
お陰様で無事に生きています。
今は何が恩返しになるのかわかりませんが、孫を連れて帰ったり、父の介護の手伝いをしたりして手助けしようと思います。
母がこれまで生きていてくれている事にも感謝です。
子育てで困ったことがあったときに悩みを相談できる人がいるって、本当に幸せなことだと思います。
ありがとう
ありがとう
ありがとう
読んでいただき、誠にありがとうございます。